2004年4月11日

イースターのパーティー

日曜日、アレカの家でイースターのパーティーが開かれた。 ルター派プロテスタントが大半をしめるグリーンランドでは、 キリストの復活を祝うイースター(復活祭)は大きなイベントで、 その前後数日間は学校や商店、主な企業は休みに入る。 家々は玄関のドアや、室内にイースターの卵の飾りをつるしたり、 ごちそうを用意して、この春のお祝いを楽しむ。アレカも前の晩から、 訪れるゲストの名前を確認したり、ごちそうの下ごしらえをしていた。

大人が11人に、ティーンエージャーが3人、子供が2人、ビッグ・パーティーになるわよ! いよいよ当日は朝食が済むと、さっそくはりきってキッチンに入り、料理に取りかかった。 大皿料理を次々に作っていく彼女の手つきを見ていると、そうとうな料理の腕前であることがわかる。


料理をするアレカ。
スモーク・サーモンを切っているところ。

「グリーンランド人は寿司が大好きよ!」と言うので、アレカと寿司を作ることにした。 グリーンランドの新鮮な素材を使って、お祝い用に手まり寿司を作ってみた。ラップを使って、 クルクルと茶巾絞り(ちゃきんしぼり)の要領で一つ一つ丸めていると、アレカとゲールが、目をみはった。 そのアイデア、頂いたわ、と料理好きのアレカは感心してくれた。


手まり寿司。
グリーンランドの材料を使って作った。

午後1時をすぎると、ゲストが次々に訪れた。 テーブルには、エスニック風サラダ、スモーク・サーモン、エビの刺身、 アレカの海苔巻き寿司、エビのにぎり寿司、手まり寿司、卵のオードブル、 マッタック(鯨の皮)、魚のムニエル、などなど、数え切れないくらいの料理やお酒が並んでいる。


マッタック 鯨の皮と脂肪。
コリコリとかむほどに味わいがあり、美味。

どれもおいしくて、たくさん食べていたら、隣に座ったAnnette(アンネッテ)に、 「警告しておくと、これはまだほんの始まりなのよ、メインはこれからなのよ、念のためにね」と言われた。 そのメイン料理は、どーんとアザラシの肉の煮込み料理と、南グリーンランドのラムのローストだった。


アザラシの肉、初体験!すごくコクがある。

食べては飲み、飲んでは休み、ベランダで風に当たり、ときに歌い、踊り、ときに語らい、祝宴はえんえんと続いた。


イースターの食卓。
昼の1時から、夜9時過ぎまで、飲んだり食べたり歌ったり

この日のゲストには、Rasmus Lyberth(ラスムス・リベルス)がいた。ラスムスは、 歌手であり俳優であり、グリーンランドでは知らない人はいないというほどの大御所スターで、 なんと先日ナルサスアックでビアギッテが教えてくれたクィビトックの映画「Qaamarngup uummataa」(心の光)の主演俳優だった。


Rasmus Lyberth(ラスムス・リンベス)。
グリーンランドでもっとも有名な歌手であり、俳優でもある。

ラスムスは、グリーンランドの氷床にいる大場さんと長谷さんの無事と旅の成功を祈って、力を込めて歌ってくれた。 ラスムスの声は、魂から、グリーンランドの大地からわき上がってくるようだった。彼の歌を聴いたとき、背筋がふるえ、 胸がいっぱいになり、言葉を失った。歌っているときのラスムスは、この世の人ではないような、 近寄りがたい威厳(いげん)に満ちあふれていた。歌い終わって、一度大きく息をつき、 そのあとすぐにもとのにこやかな笑顔に戻ると、両手を合わせて合掌し、ありがとう、と言った。

気がつくと、もう辺りは薄暗くなりはじめていた。

大人たちは子供たちの「イースターの卵探しゲーム」の仕掛けをはじめた。 植木鉢の中や、棚の中を競って探す、イースターの遊びらしい。 そのあと、子供たちから私に歌のプレゼントがあった。その歌はなんと、 「ハッピーバースデーツゥーユー」(私の誕生日は2月だけど)。 これが彼らの知ってる唯一の英語の歌なのよ、とアレカが付け加えた。

72歳のFrederikke(フレデリッカ)は、昔カナックに住んでいて、二人の日本人を知っていると話してくれた。 一人は現在も世界最北の村、シオラパルクに住む大島育雄さん。大島さんを知っている人はとても多く、 誰もが、最高の猟師だ、と讃(たた)える。

もう一人は、植村直己さんだった。フレデリッカは、当時カナックの病院で働いていて、 そこに数日植村さんが入院してきたのだという。 「ナオミは、上から下、上から下に、文字を読んでいたよ」と植村さんが病室で本を読んでいた様子を昨日のことのように語った。 日本語の表記が、縦書きだったことが、特に印象っていたらしい。とても小柄だったが、一度日本に帰って、 二度目にカナックにやってきたときは、すごく太って帰ってきて別人のようになっていた、と笑っていた。


植村直己さんを覚えている、というフレデリッカ。
昔、カナックの病院で出会ったそうだ。

フレデリッカはグリーンランド語のみで、デンマーク語はまったくわからない。 アレカ、ラスムスは、デンマーク語、グリーンランド語に加えて英語も話す。

グリーンランドの公用語は、グリーンランド語とデンマーク語の二つ。 新聞をみると、同じ内容の記事が二つの言語で書かれている。 両方に堪能(たんのう)なグリーンランド人に聞くと、新聞に関してはデンマーク語で読むと言っていた。 なぜならグリーンランド語は一つ一つの単語が長いので、時間が余計にかかるからだという。例えば、こんな記事があった。 「ロイヤル・グリーンランドがフランスに商品の紹介に行った」という内容の見出しが、

デンマーク語では、
Royal Greenland i Fransk offensive
グリーンランド語では、
Royal Greenland Frankrigimi nittarsaassisoq
というわけだ。

利便性(りべんせい)はさておいて、グリーンランド人はグリーンランドの言語に大変誇りをもっているようだ。 あくまでも第一言語はグリーンランド語、デンマーク語はあくまでも補助的に機能しているにすぎないという。 星の数ほどある世界中の言語のなかで、罵詈雑言(ばりぞうげん)がないのは、グリーンランド語だけなのよ、 とアレカが誇らしげに言った。言葉をとても大切にし、前向きなことしか言葉にしないのだという。 日本語には、万葉集の昔から、「言霊(ことだま)」という考え方があるが、似ているな、と思った。

宴のさなか、ラスムスがグリーンランドの歌を、アンネッテがデンマークの歌を、 クリスチアーナがアイスランドの歌を歌うと、みんなが日本の歌を聞かせて!と、せがんだ。 ゲールが、好きな曲があるんだといって口ずさんだのは、九ちゃんの「上を向いて歩こう」だった。 私が日本語で歌い始めると、やがて合唱になった。 「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 思い出す 春の日 ひとりぼっちの夜・・・」


ベランダで記念撮影。
雪が溶け、春の訪れたカコトックの夜。

グリーンランドで、みんなで歌った日本語の「上を向いて歩こう」は、なんだか不思議でおかしくて、 全然悲しくも、淋しくもないのに、ふいに涙が出そうになった。

    


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