2004年5月15日

イーリの鮫

ニャーコンネの若者、イーリがボートで漁に出て、大きな鮫(さめ)を獲ってきたという情報が入ってきた。 オリョウは、イーリが鮫をバラバラに解体する様子を見に行くようにと、やけに熱心にすすめていた。氷岸まで行くと、 ちょうどイーリは、海の中で一晩保管しておいた鮫を引っ張り上げるところだった。二人がかりで引き上げた鮫は、 全長3mもある大物だった(ときには6mもある鮫に出会うことがあるそうだ)。


全長3mにもなる鮫を釣ったイーリ。

イーリが鮫の大きな体を勢いよく裂くと、お腹から大きな肝臓が現れた。長く大きく、内蔵の大部分が肝臓かと思うほどの大きさだ。 鮫の肝臓は、犬でも絶対に食べないのだという。食べると身体がしびれて、ひどい目に遭(あ)うらしい。肝臓の大きさに比べて、 心臓は拳(こぶし)ほどの大きさしかない。鮫は、漁師のボートに危害を与えることもあり、危険だということで、 鮫を漁獲した報奨(ほうしょう)として、鮫の心臓一個につき50DKK(1,000円くらい)もらえるしくみになっているそうだ。 鮫の肉は、主に犬のエサになる。でも、与えすぎると、肉の部分でも、 犬は酔っぱらったようにフラフラになってしまうので気をつけなければいけないそうだ。 通常は半年くらい屋外につるして、干してからエサとして使うのだという。もし人間が食べるとしたら、 3回以上湯がいて灰汁(あく)抜きをしなければならないほどクセが強いらしい。


両側の長く大きいのが肝臓(チゴッコ)。
左の氷の上にあるのが胃から出てきたニピサ。

鮫の胃の中からは、ニピサが出てきた。まだ消化しきっていないので、そのままの形をしていた。


鮫の肉は半年間つるして干す。右端の黄色い肉が鮫の肉。

イーリは頭の近くをザクッと裂いたと思ったら、半透明の軟骨を取り出し、それをナイフで削って丸いボールを作った。 そして氷の上にポンと投げると、ぴょんと気持ちよく弾(はず)んだ。 それはまるで子供の頃よく遊んだやわらかいゴムの「スーパーボール」そのものだった。


感触も、はね具合も、スーパーボールそのもの。


今年初めてのアンマサ

ブーユが氷岸でアンマサを見つけた。アンマサはシシャモの一種で日本語では「カラフトシシャモ」と呼ばれているものだ。 干物になっているアンマサは何度か食べていたけれど、生きているアンマサははじめてだった。 アンマサは5月末から7月頃、氷が溶ける頃にやってくる魚で、グリーンランドでは人間も食べるが、犬たちもエサとして大好きな魚らしい。 ブーユが見つけたのは、ニャーコンネで、今年初めてのアンマサだった。


今年はじめてのアンマサ。

ブーユは手づかみでアンマサを捕まえると私の前にヌッとつきだした。キラキラの鱗(うろこ)が輝いて、 干物と同じ生き物とは思えないほど美しい。つかんでみると、ブルブルッと手の中で力強く動いた。 ヒンヤリと、ヌルっとした、生き物の感触だった。ペットボトルの中に入れて、近くにいた人たちと眺めたあと、もう一度海に逃がしてあげた。


ブーユがアンマサをつかみ取り。


ヨハネスの語る、ニャーコンネ70年の歴史

鮫の軟骨からつくったボールをお土産にもらって村に戻った。オリョウとアリバットのいるヨハネスの家に行って、 イーリにもらったボールを見せると、みんなこのボールのことをよく知っていた。オリョウは、これを見せたくて、 私に鮫の解体を見に行くようにすすめたらしい。このボールの名前は「nataqqoq(ナタッコ)」といって、 昔からニャーコンネの子供たちの伝統的な遊び道具だったという。漁村ならではのおもちゃだと言える。 ヨハネス(イーリの祖父)が、「もっと丸くしてやろう」といって、ナイフで削ってくれた。グリーンランド人でも、 ヌークのような都会に住んでいる人は「ナタッコ」のことは知らないし、まず見る機会もないらしい。


ヨハネス。74才。
孫の作った「ナタッコ」に手を加える。

ヨハネスは今年で74才。4才のときに牧師だった両親と一緒に、ニャーコンネに移り住んできた。 今のニャーコンネの人口は60人ほどだが、70年前は約100人、100年前は、約200人の住民がいたが、徐々に数が減ってきたらしい。 近代化が進むにつれて、ニャーコンネのような小さな村と、都市との生活の格差はますます開いていく。国にとっても、 こういう人口の少ない村に、電気、水道、電話などを備えて維持していくのは、かなりの出費がかさみ、財政を圧迫しているそうだ。 10年後には、このニャーコンネも廃村になるのではないかとオリョウは言っていた。


1960年に撮影されたニャーコンネの家。当時はまだ、石造りの家に住んでいた。

ヨハネスに、今と昔の氷の状態や、気候について聞いてみた。ここ数年は確かにあたたかく、10年前は、 岸から60km先まで海が氷っていたが、今は10kmにまでせばまったという。 ただ、温暖化についてはよくわからないというのが本音らしい。約60年前、1940年代、特に1946年と1947年は、 今と同じようなあたたかい年が続き、イッカクが豊漁(ほうりょう)だったことを覚えているそうだ。 また逆に1960年代と1970年代は寒い年が続き、また2000年頃から、あたたかくなったという。 このあたりの気候は約40年のサイクルで入れ替わるという話を聞いたこともあるという。

ここ数年のあたたかさが、単に気候のサイクルによるもので、そのうちにまた寒い冬が来て広く氷がはるようになるのか、 それとも地球温暖化の原因で気候が変化し、このまま温暖化が続くのかは、ニャーコンネの村人には知るよしもないということだ。


どこにいても幸せ

大きな鍋を持って、飲み水にする氷を掘りに出かけた。氷河からやってきた、数千年、数万年前の水と空気でできた氷だ。 それを持ち帰り、コンロで溶かし、まずはそのまま飲んだ。はっきりと水のおいしさを感じられるほど、ステキな水だった。 コーヒーを入れても、水道から汲んだ水とは全然違う(村には水道のある小屋があり、そこから水を家に持ち帰ることもできる)。


飲み水用の氷を調達する村人。


鍋一杯の氷。
のどが渇いたので、自然解凍ではなく、コンロの熱で溶かした。

子供のころによく聞いた歌で、歌詞も題名もうる覚えだけど、大好きな歌があった。東西南北のことを歌った歌で、 ちょっと哀愁(あいしゅう)を帯びたメロディーがなんとも美しくて、この歌を聞くたびに、なぜか胸がきゅっと締め付けられた。 確か、こんな歌詞だったと思う。


東に住む人は幸せ。生まれたばかりの太陽を、一番先に眺めることができるから。
西に住む人は幸せ。沈む夕日のはかなさを、・・・・できるから。
南に住む人は幸せ。色とりどりの花束を、愛する人に捧げることができるから。
北に住む人は幸せ。春を迎える喜びを、一番強く感じることができるから・・・。

夜、岩山に登った。オリョウ、ブーユ、アリバットは、 先に出かけたウナトックたちのことが気になり、山の上から海を見た。

グリーンランドの町や村を転々としていると、ときどきこの歌が浮かんでくる。東西南北、どこに暮らす人も、そこにれぞれの幸せがある。 きっと、そこで、それぞれ幸せになれるのだ。

    


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