2004年5月27日

FAR NORTH(最北へ)

カーナーク地方には現在も、THULE AIR BASEというアメリカ軍の基地がある。 そのためだろうか、イルリサットの空港では、グリーンランドに来て初めての荷物検査とボディチェックを受けた。 乗客は15人ほどで、観光客らしき人は見あたらなかった。 飛行機に乗り、離陸して、しばらくしてから飲み物をもらうとき、フライト・アテンダントは初めて私が外国人だと気づいたらしい。 「ごめんなさい。英語のアナウンスが必要だと思わなかったので・・・」といった。


カーナークに向かう機内から外を眺めると、うっすらと霧がかかっていた。

グリーンランド内で飛行機に乗ると、まず、非常時の救命胴衣の付け方の説明がある。 それは、グリーンランド語のあと、デンマーク語でなされる。そのあと、「英語を話す人いますか?」と聞かれる。 そこで、「はい」と手をあげると、英語の説明もしてくれるという流れだったけど、そういえば、今回は特に聞かれなかった。 私も、少しはイヌイットらしくなったのかな、と嬉しい気分になった。

カーナークは最北にある地理的な条件から、ヨーロッパ人との混血が少なく、 日本人に似た顔の人がもっとも多いところだと聞く。飛行機の中でさえも、どこかで会ったような、 懐かしい風貌をした人たちを見かけた。


長い道のり

いったんイルリサットを飛び立ち、カーナークに向かった飛行機は、離陸してから40分ほど経ったとき、 Uターンしてイルリサットに戻った。イルリサットとカーナークの間には、ウパナビックという空港がある。 ウパナビックの空が濃い霧に包まれていたため、着陸不可能と判断し、引き返したというわけだ。

また一日空港で待機かな、と覚悟していたら、以外に早く、1時間ほどで再びイルリサットを出発した。 ウパナビックには着陸せず、直接カーナークを目指すことに変更したらしい。 もう一度荷物の検査とボディチェックを受け、今度こそという気持ちで、飛行機に乗り込んだ。


飛行機から見えた、長く大きな氷の裂け目。

順調に行けば、イルリサットからカーナークまでは2時間半のフライトだ。 グリーンランドの町と町の間には道路が通っていないので、それぞれの地方は、離れ小島のように存在している。 飛行機のチケットは安いものではないので、例えばヌークに住む人にとって、東グリーンランドや、 最北のカーナークは、言語も文化も異なる要素が強いため、まるで外国のような感覚さえあるということだ。 飛行機がなかった時代は、行き来はまず不可能だった(行き来どころか、 人が住んでいることもお互いに知らなかった時代もあったらしい)。

特にカーナーク地方は、特有の民族衣装や言語を持っていて、カーナークの言葉は、 カナダ・イヌイットと、かなりの共通点があるそうだ。グリーンランドのイヌイットは、 カーナークより少し北のスミス海峡の辺りを渡ってやってきて、最後にカナダからカーナークへ人が移住してきたのは、 1860年代だというから、ほんの150年前のことだ。


イヌフイットの土地

グリーンランドの西海岸にひろがったイヌイット文化は、ここカーナークを出発点としている。 イヌイットのなかでも、カーナーク地方に住む人々には特別に「イヌフイット」というもう一つの呼び方がある。 最北に住む「イヌフイット」のハンティングの技能、そしてハンターとしての誇りは、 他地域のイヌイットからも、憧憬と尊敬を集めるほどのものだという。

カーナークから戻ったばかりだったカコトックのアレカが、犬ぞりで真っ黒に日焼けした顔を輝かせて、 「あれこそ、地球に残された最後のフロンティア(辺境)よ!」と表現したカーナーク、 そして地球縦回り一周の旅グリーンランド編のクライマックス(氷床縦断)を味わうことになる最終目的地カーナークが、 もう目の前に迫っている。


霧に包まれたカーナーク地方。ついに最北へやってきた。

    


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